大自然はこんな俺にも手を抜いてくれない。
半身麻痺を乗り越えた男の新たな挑戦!

TVはドキュメンタリー系とサイエンス系をよく見ていました。その影響なのか、好奇心旺盛。遊びもわんぱくで幅数mの排水溝を飛び越えられるか?とか、ブランコ飛びで回転しながら飛んだり、後ろ向きで飛んだりと、飛距離だけでなく飛ぶ技を競争していました。隣近所の塀の上を走り回り、近くの川で沼エビやモズクガニ、うなぎを捕って遊んでいましたが、人見知りで目立たない性格、クラスでのポジションは2~3軍。


10歳の時、しつけの厳しさから”父親よりも強くなりたい”という想いが強くなりケンカに明け暮れました。

いわゆる”やんちゃ”をやりきった18歳の時、兵庫県下で有名な峠で走り屋に出会いました。めちゃくちゃ早いスクーターで単車に乗っていた私が道を譲るくらい。この出来事が衝撃的で悔しくて「次はここでトップになる!」と決意し毎日走り込み。決意から10ヵ月後、誰もが憧れる【峠最速】の称号を手に入れました。

▲時効なので掲載(笑)

サーキットで練習するお金がなかったし、仲間と峠を走ることが何より楽しかった。
20歳の誕生日を迎えた2か月後、1994年12月24日(20歳)の時、バイクで単独事故を起こし、ガードレールの支柱に突っ込み意識不明の重体。事故現場近くの病院に搬送されるが、手の施しようがなく旧姫路国立病院に緊急転院し、緊急手術が行われました。手術時間はまさかの11.5時間。

10日後、奇跡的に意識は取り戻しましたが、一過性健忘で一部の記憶を失くし、左腕と右足は吊られており、医師からは絶望的な宣告を受けました。

▲事故直後の左腕です。

▲緊急手術後の左腕です。

事故から約1ヵ月後、寝たきりの病院で阪神淡路大震災が、、、

寝たきりで自由が奪われたこと、あの時あれをやっておけばよかったという激しい後悔、そして何よりもストレスを感じたのは散々反抗してきた両親に排便などの世話になることが屈辱で仕方ありませんでした。

そんなストレスから家族や看護師、主治医に当たり散らす毎日。
とにかく病院が嫌で仲間に頼んで大脱走を計画。
寝たきりで動けなかったのでベッドで脱走すること数回、喫煙室に籠城すること数回、車椅子に乗せてもらって脱走すること十数回。そんな私に対して主治医は『医者にも患者を選ぶ権利はあるんや!出ていけ!』と激怒。


▲主治医と20年以上の付き合い。

一人暮らししていた家に帰れたことで自由を手に入れたと思っていたのですが、ベッドからろくに動けず、数m先のトイレやキッチンに行くことすら出来ませんでした。
※8畳ワンルームのトイレに行くまで1時間もかかることを想像してみてください。

この出来事のおかげで病院の有難さを思い知り、主治医に謝罪することで病院に戻ることができましたが、この後も同じ事を繰り返し、反省文を3回も書くという懲りない性格は今でも変わりません(笑)



しかし、病院に戻ったからと言って否定的で投げやりな態度が変わることもなく、相変わらず周りに当たり散らす毎日。そんな否定的に生きる毎日を変えたのは、ひとりの小学生。

その彼から“現実を受け入れて、最善の方法を選んで今を生きる”ことを教えられ、過酷なリハビリを決意。度重なる手術と過酷なリハビリの末、奇跡が起き、小指が少しだけ動くようになりました。

▲手術も慣れてしまった。

▲腰(腸骨)を左腕に移植するため摘出している。

事故から3年後、障がい者となりながらもバイクレースに復活、そしてレースに参戦すること4年、”障がい者でも表彰台に立つ””バイク雑誌でカラー特集される”この2つの夢を叶えて引退。

▲カラー2ページで特集されました。

▲レース結果の一部です。

引退後、海外旅行(42ヶ国訪問)、スキューバダイビング(個人最高峰のマスタースクーバダイバー)や船釣り(小型船舶一級免許取得)を趣味に楽しんでいました。当初は、沖縄や和歌山で狂ったように潜っていたのですが、ある頃からどこを潜っても同じ景色に見える不感症になりました。
”このままだと自分のスキルが勿体ないなぁ、自分のスキルを活かしたダイビングをしよう!”と思い、2011年頃からANAのサンゴを植えるCSR活動に参加したり、オニヒトデを駆除したりしていました。

▲オニヒトデに食べられないよう、高い場所で育てていました。


そして、2012年。
残雪期に登った槍ヶ岳(日本No.5:3,180m)登頂をきっかけに登山を開始。

▲初登山は残雪期の槍ヶ岳でした。

登山を始めて2年後、厳冬期という厳しい条件で挑戦した大同心北西稜、苦戦しつつも登頂した山頂で知った事実。
それは、登山を始めて間もない頃、仲間が指さし『あの崖を登る人のいるんですよ』と教えてくれて、”あんなところ登る奴はあたまおかしいよな”って人ごとのように聞き流した山でした。

そして、その山頂で”この充実した毎日があるのはあの時、あの小学生と出会えたからだ!”と気づきました。その恩返しとして、次は自分が伝える側になろうと決意。


▲大同心はこんな登攀の繰り返しです。

事故から25年、腰の骨を左腕に移植するなど手術回数は整形のみでも計15回(総手術回数29回)。私にとって登山は簡単なスポーツではありません。でも、私が限界に挑戦する姿は、壁を越えようとしている人に希望を与えていると知ったから、”私の挑戦には意味がある!”と、いまも挑戦を続けています。

▲残雪期の剱岳早月尾根。

▲2016年に私を助けてくれたアコンカグア常駐の医者ベルナベ。1年ぶりの再会。


 

プロフィール

名前片山貴信
生年月日1974.10.9
血液型AB型
出身、居住地兵庫県姫路市
趣味登山、スキューバダイビング、スノーボード、旅行、釣り、読書、TVゲーム
主な潜水歴
・場所(ポイント名)
・Guam(Blue Hole、GAB GAB Ⅱ)
・Egypt Dahab(Mashraba、Blue Hole、Canyon)
・日本 知床(流氷)
・Mexico Tulum
(Gran Cenote、Dos ojos、Bat Cave、Angelita、Cara Vera)
・Mauritius Flic en Flac(Klondike Hotel)
・日本 屋久島(戦闘機疾風)
・日本 和歌山(黒潮漂流)
・Thailand Samae San Island(HARDEEP WRECK etc)
海外の主な登頂歴
・山名(標高)国
・Cayambe(5,790m)エクアドル 赤道上最高峰
・Elbrus(5,642m)ロシア 欧州最高峰
・Aconcagua(6,962m)アルゼンチン 南米最高峰
・Punta Dufour(4,634m)スイス最高峰
・Kuhi Garmo (7,134m)キルギス

※詳しい登頂歴はこちらをクリック。
出演・サンテレビ「ひょうご発信!
・シャナナTV「目からウロコ
・雑誌「LIFULL
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空撮の一例クーヒ・ガルモ
ユーヒナ