エクアドル6,000m級 登頂PJ

新たな挑戦!

”しょうがい”を理由に諦めたくない!!

障がいを負った元バイクレーサーが次に選んだ挑戦!

それは!!

標高6,000登頂プロジェクト!!

向かうは南米エクアドル!

■現実は残酷

10代のころからバイクレースに参戦していましたが、単独事故を起こし意識不明の重体となりました。

事故当日の画像④

▲手足ともにひどい骨折でした。

事故から10日後、奇跡的に意識を取り戻しましたが、容態はひどく、左上半身は麻痺で動かず、右下半身は膝が曲がりませんでした。その時、医師から告げられた言葉は「左腕は二度と動かない。」と絶望的でした。しかし、たくさんの人と出会い、その出会いがきっかけとなり、腕を治そう!と行動を起こしました。

左上腕1ケ月後②
▲杭を入れて骨をつないだり、腰の骨を移植しました。

■奇跡を起こして夢を叶えた!!

~ 数十回の手術と過酷なリハビリの末”奇跡の復活”~

事故から8か月後、左小指に間違いなのかと思うくらい微かな感覚を感じました。そして、過酷なリハビリに耐え続けること3年、奇跡が起き、障がい者となりながらも、レースの世界に復活することができました。

当時、肘はまだ動きませんでしたが、目標を決め、それが叶ったら引退しようと思っていました。夢に向けてレースに参戦すること7年。

1. ふたたび表彰台に立つこと。雑誌の記事 一部 (9)

2. 雑誌で特集されること。
カラー2Pの特集 
この2つの夢が叶い、納得いくレース人生で引退できました。

■引退後、どうしているの?

元々自然がとても好きだったので山と海を趣味に楽しんでいます。しかし、腰の骨を左腕に移植したり、骨を削ったりと毎年手術を繰り返している私にとって、登山は簡単なスポーツではありません。

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▲前穂北尾根登攀でも、苦しい工程を乗り越えた時の達成感・ 充実感はバイクレースに似ています。

同じ登山でも雪山は最高です。夏と冬では危険度、歩行距離や時間、疲労度等は桁違いで半端ないですが、氷点下の澄んだ空気の中で見る景色は最高です。

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▲厳冬期大山

山頂や道中で見る景色に言葉を失い、また見たい!そこに立ちたい!と山に惹かれていきました。

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▲常念岳から見た槍ヶ岳と夕焼け

■なんで海外の山なのか? 
クライミングや、標高差のある山、アプローチ距離の長い山、バリエーションルート、厳冬期の山など、自分の限界に挑戦するうちに、日本に無い標高の山に挑戦してみたいと興味が湧いてきました。

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■ガラパゴス諸島と赤道だけじゃない!

海外登山を行うためにどこに登ろうか等いろいろ調べていたら、ある山を知りました。その山は、エクアドルという国にあります。南米にある国なのですが、赤道直下と言うことや、ガラパゴス諸島が有るということ以外に山でも有名でした。

エクアドルTOP3の山はそれぞれ、

・世界で一番高い山(チンボラソ)

・世界で一番高い活火山(コトパクシ※)

・赤道上で一番高い山(カヤンベ)

と、言われています。このフレーズ、良くないですか??(笑)私はこのフレーズに興味を持ち、この山に挑戦することを決めました。

※コトパクシ山が140年ぶりに噴火しました。当局から連絡が届いたのは2015年8月26日なのですが、入山の規制もあり、挑戦する山をイリニサ・ノルテ(5,126m)、イリニサ・スル(5,248m)に変更いたします。

 


■この挑戦って困難なの??

この山への挑戦を決心したのは2014年。しかし、今のままでは歯が立たず、太刀打ちできません。仲間に助けられながら、たくさんの山に登って経験を積んでも普段登っている山と大きく違う点があります。

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①氷河の存在・・・通常2人以上でパーティを組み、お互いをロープで結びあって登ります。万が一、クレバスに落ちても片方が安全を確保する登り方を行います。しかし、今回は単独※で挑戦するので、安全確保が通常よりも難しく、クレバスに落ちても助けを呼ぶのも困難です。なので、氷河上でのルートファインディングはとても重要になってきます。

※コトパクシ山の噴火もあり現地の状況で変化します。

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②酸素量・・・酸素量が地上の半分以下です。標高5,500mでは酸素量が地上の約半分になります。酸素量の低下は、高山病(脳浮腫、肺水腫など)を発症させる原因となります。

③標高差・・・各山でのハイキャンプからの標高差はそれぞれ約1,800m~2,300mあります。日本でこの標高差を持っている山は、富士山か甲斐駒ヶ岳だけだと思います。

■なんで挑戦するの?

私の事故は平成6年12月24日でした。当時、突き付けられた現実を受け止めきれず、否定的で生きる活力がまったくありませんでした。そんな時、いろんな人と出会い、きっかけや気付きを得て、腕を治そうと努力しました。その出会いとは、事故の翌月に発生した阪神淡路大震災で被災しても前向きに生きるともだちであったり、交通事故で膝のサラを失った小学生だったり。

特にこの小学生は、医師から「足が曲がったままがいいか、延びたままがいいか」の選択を迫られたとき、「延びたままがいい」って言ったんです。笑いながら「だって、走れるでしょ!」って。現実を受け入れて最善の方法を選んで今を生きる。って、こういうことなのかな?と純粋に思いました。教えてくれたのは10歳の小学生だったんですけどね(笑)

他にもたくさんの人と出会いました。そんないろいろな出会いなどがなければ、「二度と動かない」 と言われたまま、何も行動を起こさず過ごしていたと思います。今のこの充実した人生がなかったかも・・・と考えるととても怖くなります。いま、私の周りで気付いてほしい人たちが居ます。治る人、がんばっても治らない人、奇跡なんてそう簡単に起きるものではない。けれど、私の腕は「治らない。二度と動かない。」と言われたのは事実です。

しかし、私は人生の岐路でとてもいい出会いや気づきがあり、今こうやって悔いの無い人生を送れています。わたし自身、自分の限界に挑戦してみたいと言う理由もあります。でもその挑戦する姿が、本気で動き出せば必ず何かが変わるということ証明し、同じように行き詰っている人たちに希望を与えられると信じているから、私の挑戦には意味がある!そう思うんです。

■支援の使い道

・高所に向けた低酸素トレーニング施設(東京)の利用とその交通費に、充てさせていただきます。プロの登山家と違い、個人での手配や準備にはかなりの資金が必要です。必ず結果を出して帰ってきますので、みなさまのご協力よろしくお願いいたします。

■今後の予定

7月・・・槍ヶ岳(北鎌尾根)など3座

8月・・・富士山、皇海山など3座、低酸素室4,500m+5,000mトレーニング

9月・・・北アルプスロング縦走など4座、富士山高所トレーニング。

10月・・・北岳、低酸素室5,500m+6,000mトレーニング。

11月・・・八ヶ岳、富士山(4日間で3回登頂予定)など4座。

12月・・・低酸素室6,000mトレーニング。

■登頂スケジュール

12月

23日・・・出国

24日・・・早朝エクアドル入国。イリニサノルテ(5,126m)アタック。

山頂付近でテント泊。

25日・・・早朝、イリニサスル(5,248m)アタック。

26日・・・休息&準備。

27日・・・カヤンベ入山後、4,000m付近でテント泊。

28日・・・深夜アタック開始。早朝6時ごろ、カヤンベ(標高:5,790m) 山頂予定。

29日・・・チンボラソ入山後、4,000m付近でテント泊。

30日・・・深夜アタック開始。早朝7時ごろ、カヤンベ(標高:6,310m) 山頂予定。

31日・・・予備日

1月

1日・・・予備日23日・・・出国

■さいごに

いまの世の中、いろいろなモノがあり、豊かな生活を送れ、ほとんどのモノを手に入れることができます。でも、何かに気づいて行動を起こさない限り、絶対手に入らなかったモノを私は手に入れました。これからもいろいろなことに挑戦し続けたいそう思っています。

どうかみなさまの応援よろしくお願いいたします。

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