18日目納得度

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さすがに昨日の疲れが残っている。
寝袋から出ることが苦痛やけど、早くここから下山したい!って頑張った(笑)
酸素量は地上の半分以下、夜は特に寒くて極寒、辛くて早く帰りたかったのに終わりが分かると名残惜しくて寂しくなるから不思議です。

8時に下山を開始して、約6時間でABC(C1)に到着。

ITMCに向かう途中にある会社で宣言通り COKE 1L を飲んだんやけど、言葉を失くすほどのうまさ!

でも、日焼けでくちびるがめちゃくちゃ荒れていて飲むたびに痛すぎる、、、。
荒れているって言葉はもはや合わない、、、。
血まみれで瘡蓋(かさぶた)ができてとにかく何をしても痛い、、、。

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▲これは下山後に撮った写真。ひどくない??

ITMCに到着した俺の姿を見て、20日近く一緒に過ごした仲間たちが集まってきた。

『タカ、どうだったの?山頂行けた?』

「山頂に行けたよ!でも、往復19時間、、、。」

『えっ!19時間??』

って、そりゃそういう反応でしょう(笑)
自分でもびっくりしましたから!

暑くて服を脱いで登ったことなども話すと、

『あの標高で19時間でしょ?タカはタフね!ヒーローよ!』

って、みんながちやほやしてくれるので、

”そ、そうか??おれヒーローか??”

って思ってニヤニヤしてたんやけど、日本人の1人が両足指の凍傷で運ばれたことを聞いた。

ほかの登山者が撮った写真を見たけど、水膨れができて鬱血して黒くなっていた。
凍傷レベル1と思った。
凍傷を見て、ある登山家が言っていた言葉を思い出した。

『登山技術、装備、全てがひと昔前と比べ物にならないくらい進歩している。そんな中、凍傷になるのはたとえ挑戦に成功していても、それは失敗に等しい。』

おれもその通りと思っている。
おれは山頂に立てた。
でもその手段には疑問が残る。
個人的には勝算があったけど、その手段にはリスクしかなかった。

クーヒ・ガルモの情報を探すと大抵、

”頂上まで稜線も同様、技術的に困難な場所はないが、体力、天気・風が成功の可否を握る。午後は雲がわきやすくも晴天時も朝方 30m/s を越える強風が吹いたり前進困難に陥ることも珍しくない”

と紹介されている通り、一歩間違えれば凍傷どころか命を落としていた。
オーバースペックと言う装備計画の失敗。

おれの挑戦は成功か失敗か?
ずっと心に引っかかってる。

当初の計画より数日遅れたとは言え、まだ予備日が1週間程度あるし、燃料、食料も十分ある。
”やり直そう!”そう思った。

やり直すなら同じルートは面白くないから違うルートにしよう。
そういえば、日本人が東側のあるルートから登った記録がないって言っていたからそのルートにしようか。
とにかく猪熊さん(ヤマテン)に連絡して今後の天候を聞いて計画を組みなおそう。

18時(日本時間21時)、衛星電話で猪熊さんに電話した。
帰国などの旅程から15日には完全下山することを伝えて天気予報を聞いたところ、

『12日から低気圧が来るので天気は悪くなります。特に注意してほしいのは風です。14日をピークに強風が吹くので11日までに山頂に行ける計画がいいです。』

この予報を聞いて俺の挑戦が終わった。
明日10日に登って、11日に山頂に立って下山することは現実的ではないし、無茶な計画こそ失敗に等しいって思った。
でも、再挑戦できないと分かっても悔しくなかった。
むしろ、”もう登らなくてもいいんや”って、ほっとした。
情けない、、、。

情けないなぁと思いながらも、下山の準備を始めてた、、、。

弱いよな、、、。

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▲下山後、スポンサーシールを貼らせてくれた。

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▲一番目立つところ♪

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▲スローバーは荷揚げポーターでどこでも半袖半パン(笑) C3(6,100m)でもすぐに来てくれる。あだ名はスノーマン。

タクティクス表 計画&実績

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短期間に休日を4日間取ったけど、その効果なのかSPO2が70%を切ったのは2日間のみ。
8月3日の深夜、激しい頭痛で苦しんだけど、翌日ABCに下山して超回復できたのか、以降山頂までストレスなく順応出来ていた。
しっかり休んでしっかり動けたと思う。

クーヒ・ガルモのレア動画

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