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※30日間の遠征記録は目次リンクから読んでください。
・クーヒ・ガルモ準備スタート・・・飛行機の手配、ビザなど準備からの記事。
・41ヶ国目キルギス入り・・・キルギス入り初日からの記事。
・6日目ユーヒナ峰・・・5,100m峰で高度順応した記事。
・17日目サミットプッシュ・・・サミットプッシュした記事。
おれが書きたいのは現地で出会った北海道隊の話。
彼らは2人で挑戦していました。
入山12日目C3(6,100m)で初めてまともに言葉を交わした。
2人で挑戦しているはずなのに、C3に居たのは坪島さんだけ。
『標高7,000m付近まで行ったんですが、相方に肺浮腫?肺水腫?の疑いがあり、登頂を断念しました』
『予備日があるので僕だけ再挑戦しています』
おれもアコンカグアで肺水腫に罹り、ヘリで運ばれた経験があるので【疑い】の内は、まだ安心やけど、罹ってからやと苦しくて大変。
”残念やけど賢明な判断やなぁ”ってただ漠然とそう思いました。
その日の夜中、頭が割れそうな頭痛に襲われた。
睡眠中は呼吸が浅くなることで血中酸素飽和濃度が低下し高山病を発病する。
高山病の症状は、頭痛、吐き気、嘔吐、めまい、などでおれの頭痛はまさに高山病です。
何としても成功して帰りたい。
超回復と更なる高度順応進行(※)への期待を込めて、翌朝、標高4,300mのABC(C1)まで下山することにしました。
※)一般的に高峰に上がった後、標高をぐんと下げる事で高度順応は一気に進みます。
入山13日目。
9時に下山を開始し、15時にABC(C1)に着いた。
ABC(C1)で出会ったのが北海道隊の1人野戸さん。
”まだやれたんじゃないか、あの時こうしておけばよかったんじゃないか”
”もう一度登りたいけど、症状悪化が怖い”
口には出さないけど、彼の整理しきれない葛藤が手に取るように分かった。
だから、彼にこう伝えた。
「山頂に登れたから成功でもないし、登れなかったから失敗でもない。要は自分の納得度がどこにあるか。思うところがあるならまた挑戦すればいい」
これはマッターホルンを撤退したときに頂いた言葉。
「挑戦って自分の限界以上の事、困難な物事や新しい記録に立ち向かうことやから、ドラマチックに達成できることの方が稀やと思う」
この時、野戸さんは
『片山さんと話せてよかった。やっと気持ちの整理ができました』
って言ってくれたけど、本当にそうやろか?
俺なら悔しくて悔しくて納得できん。
少しは楽になったとしても、そう簡単には整理できないと俺は思った。
ABC(C1)で野戸さんからいろんな話を聞かせてもらった。
昨年クーヒ・ガルモから撤退している坪島さんは、
チームの挑戦から個人の挑戦に切り替えてでも山頂に立ちたい。
ヘタしたら生死に関わる症状を患っているも野戸さんは、
チームで挑戦しているんやから協力して一緒に山頂に立ちたい。
マッターホルンの挑戦で同じ経験をしたこともあり2人の気持ちがよくわかる。
『このまま、(野戸さんが)山頂を目指すなら、何かあっても面倒見れない』と坪島さん。
『1人で挑戦を続けるなら、もしもの事が起こっても俺は何も出来ないって(坪島さん自身の)家族に伝えてくれ』という野戸さん。
そして2人が出した結論は、
別行動
高峰で何か起こっても(死んでも)関与しないこと、帰国に間に合う日にちに下山してこなかった場合は、野戸さんだけで帰国することが条件。
ここまではっきりと決められるのはお互いの信頼関係が築けているからやと思った。
そして感心したのは、野戸さんの行動。
C2(5,300m)に残してきた自分担当の荷物を荷下げに向かった。
肺疾患が重症の場合、登り返そうと思っても身体が拒否っていうこと聞かないし、それは俺も経験済みなのでよくわかる。
登り返すのはそれなりの勝算があったからやと思うけど、今後の行動には関与しないと決めたのに、自分の負担を仲間に負わせたくないって気持ちに感心した。
もしおれやったらどうしてるやろ??
今までどうしてたやろ?
登山に限らず、俺の周りで、あいつが、こいつが、とよく耳にする。
チームでの挑戦なのか、チームで協力するけど個人での挑戦なのか、状況はいろいろあると思うけど、仲間と何かに挑戦するときは自分のやるべきことを人任せにせず全うしたい。
言葉を交わした時間は少なかったけど、いい2人に出会えたって思う。
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