「片山さん、屏風の1ルンゼに行きませんか?」
この誘いに即答でノッた。
屏風岩はきっと穂高の屏風岩の事と察したけど、そもそも1ルンゼってどこやねん。
てか、あんなところにルンゼがあるんか?とか色々考えたけど、「いくっ」と即答できたのは、仲間と出会って数年、彼と組んだら”熱い”挑戦、”代えがたい”経験が出来ることが分かっていたから。
足を引っ張らない程度には調べておこうと記事を漁ったけど、ほとんど記事が無い。
初登は昭和17年(1942年)らしいが、その後20年、第二登までかなりの期間が開いていた。
それは、条件の見極めが難しいかららしい。
”絶え間ない’雪崩、落石、積雪不安定、あるいは氷化、または登攀中条件が悪化した場合これ
を切り抜ける事が著しく困難となる事等があって登攀を阻んでいたのではないかと思われる。
しかし当時に較べ装備等の進歩もめざましく、また当時考えられもしなかったような所にルートが開けている現状である。第1ルンゼたりとも例外ではない。”(登攀記事抜粋)
3月7日(金)合流
仲間と合流し、昼前に釜トンネルから入域した。
連日の仕事疲労があり、気分がノラない。しかも、出だしから釜トンネルの傾斜が急やから尚更。
淡々と歩くと、奥穂が見えた。
今日からの3日間、まずは天気が味方してくれた。

奥穂高岳周辺。広範囲にデブリが見える。
要所で休憩しながら本日の目的地”横尾山荘”を目指す。
横尾には避難小屋があるけど、オレは使ったことが無い。
平日にも関わらず、たくさんのハイカーとすれ違ったけど、明神館まで来たらトレースが無くなった。
どうやら、明神館までがハイキングコースなんかも知れん。
ここで仲間の提案は、明神池側に渡って横尾を目指すと言うもの。
徳澤園前の新村橋が工事中で、冬季でも工事は実施されている。つまり、工事車両用に除雪が行われているから。
これが最高に歩きやすく一気にストレスが無くなった。
新村橋から先で除雪は途絶えたけど、そこから横尾山荘まで約30分で到着した。
横尾山荘の前でテントを張っている3人組が居た。
仲間が話掛けたら、韓国人パーティで槍ヶ岳を目指すと言っていた。
おれらは、避難小屋の中にテントを張って、夕飯の支度をしながら、明日以降について話し合った。
仲間は翌日、プッシュしたいと言ったけど、抜けた後の下降路について慶応尾根かカモシカ尾根か等、お互いの意見が合わず、明日は”偵察”に専念することにした。
しばらくすると韓国人の3人が小屋の中に来た。
夕飯を食べた後、「俺たちにアドバイスが欲しい」と頼まれた。
結局、彼らは翌日、槍沢に行き、翌々日にプッシュし横尾山荘に戻ってくることになった。
3月8日(土)偵察
8時半ごろ小屋を出て、まずは第一ルンゼ出合に向かう。
横尾山荘前の川は雪に埋まっているので屏風岩に向って直線的に歩けるのがありがたい。
ここが出合と教えられないと分からないような場所に着いた。
そこから沢筋に沿って登って行くと第一ルンゼ下に着く。

第一ルンゼ下を正面から見た図

傾斜は急やけど、デブリのおかげで歩きやすい

第一ルンゼが見えてきた
直感は何か行けそう!
その後、条件が悪かった場合の代案に考えていた第二ルンゼの偵察に向った。

第二ルンゼ

帰りに木々の間から見えた第一ルンゼ

小屋に戻り、早めの夕食を食べた
3月9日(日)プッシュ
予定通り、3時過ぎに小屋を出た。
昨日のトレースを辿って、第一ルンゼ下まで来たら昨日には無かった雪崩の跡がある。
ただ、デブリって感じではなく新雪が流れ積もった感じで深かった。
5時半に取り付きに到着した。ここまでは時間配分も予定通り。
薄っすらと明るくなってくると傾斜の立ちが分かり緊張を強いられた。
本来ならロープを出すべき傾斜もフリーで登り、これ以上行けないと言うところを取り付きとした。
ロープを繋いで登攀開始。
目の前には3段のアイスが見えるけど、難しそうに見えない。
セカンドで登った感じも難しくはなかった。
2ピッチ目はいよいよ、”喉”と呼ばれる核心。
ここが酷かった。
チリ雪崩が頻発して上から降り注ぎ、すぐに腰まで埋まる。
そして、天気はいいけど寒い。
そんな中、仲間が離陸したけど、しばらくしてロープの動きが止まった。

ここからが核心
「氷が薄くて支点取れない。」って無線が入り、その後、「落ちるかもしれないからよろしく!」と、大声が聞こえた。
きっと、無線を使う余裕がないんやろなって判断して、その時に備えた。
しかし、難所は続き、「あと2mロープ出せない?」と。
なぜか、ロープの長さが足りない。
「コンテで登れないか」と言うが、薄氷に決めたスクリュー等を考えるとリスクが高過ぎる。
逆に言えば、おれが落ちないと信用してくれていたのかもしれないが、リスクが高い。
それに絶え間ない雪崩の直撃、冷え切った足、届かない支点でこの核心を登れる気がしない。
総合的に考え「冷静に撤退を判断してください!」と伝えた。

蹴り込んでも一発で決まらない、、、
1段上に上がると、仲間の苦戦した状況が良く分かった。
気持ちだけのすぐ取れそうなカムを外しているとすぐ横に灰色のスリングがあった。
足の指が痛くて堪らない。
「上の支点、しっかりしてますか?」
いつフォールしてもいいように何度となく確認してしまった(笑)
やっと2ピッチ目を終えたけど足が痛い。
雪崩と落石を直撃するこの場所に長居は出来ないが、足を揉まないとヤバいと分かる。
靴を抜いて揉んで、張るカイロを張ってしのいだ。

ここでやるしかなかった。
ここからはしばらくテクニカルなところはない。

実際には立っている
足の限界を越えているので、左の稜線に乗りトップアウトすることを申し出た。
ルンゼの中を登った方が各段に登りやすいけど、決まらない足で登れないから灌木やブッシュを利用した登攀を申し出たけど、これがめちゃくちゃ悪い。
とにかく悪く尾根に乗れない。
そして、撤退を申し出た。
天候や、雪質を見ても条件がいいのは初見の俺でも良く分かったし、仲間の思い入れがあるルートだけに一緒に抜けたかったけど、”遊び”に命どころか、足の指も賭けたくない。賭けられない。

これが”喉”の奥の景色。ルンゼをくの字に登った先から2~3段のアイスパートを経由して抜ける。
さて、ここからどうやって降りるのか?下降路が見えない。
氷が薄くてアバラコフを組めない。
左に見えていた樹林の尾根に乗れば、支点は豊富そうやけど、下降しながらその尾根に乗れるのか?
試行錯誤でルートを探すが、これといったいい場所がない。
騙しだまし、下降しながら登攀中左に見えていた尾根を検索する。
しかし、なんと!左に見えていた尾根の間にもう一本悪い沢があった。
懸垂支点を取れる場所がなく、尾根に乗れない。
このまま小刻みに下降することを決めた。
適度な支点を逃すと進退窮まる。
何時間繰り返しているのか分からない。
何とか目途を付けて懸垂下降を繋いでいくが、とうとう進退窮まった。
下が見えないのだ。
「おれの山人生で最大の賭けです!これがダメなら登り返してきます!」と言って仲間は下って行った。
そして、肩の部分まで行って「この賭け、勝ったかも!」
仲間の元まで降りると、ブッシュは無かったけど、露岩に打ち込まれたバチ効きのハーケン、そして、カッチカチに凍った木の根。
ここから懸垂下降で降りたところが今朝の取り付き。
しかし、まだ油断できない。
この取り付きまでの道中は、緊張感半端ない氷壁を2人ともフリーで登って来た。
これをクライムダウンで降りるのはリスクが高過ぎる。
けど、アバラコフを設置するには信用できない真っ白の氷。
「これでだめなら、決死のクライムダウンで降りましょう」
あとは、祈るしかない。
アバラコフを設置し、力任せに引いたけど氷は割れなかった。
以降も傾斜は立っていたけど、チリ雪崩の積もったふかふかの雪のおかげで、難なく降りることが出来た。
確実な安全圏で写真を撮った。
「撤退したけど、敗退じゃない。やり切れた」って言葉が沁みた。
出合まで戻り、装備を解除し小屋に戻ったけど、韓国人たちは戻ってなかった。
夕飯を食べながら2人で振り返りを話合い、早々に就寝した。
21時ごろ、小屋が賑やかになった。
どうやら韓国人3人も無事戻ったみたい。
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